今日の川柳の時間が始まります。
さあ、今日はどんな歌を詠みましょう。
何しろまるっきりの素人ですから、いざ詠むとなると中々思い通りには浮かんできませんね。
こんな句で良いのだろうか。まるっきり自信がありません。
それでCopilotさんに批評と模範的な句を詠んで頂いております。
読んで下さった皆様も私ならこう詠むな。とかありましたら最後尾のコメント欄に是非お載せ下さい。参考にさせて頂きます。
今回は「」について詠まさせて頂きます。
お恥ずかしい句になっていないか心配です。
背景
司馬遼太郎の『竜馬がゆく』を初めて読んだのは二十歳前後の頃でした。
それから何度読み返したか分からないほどで、人生の節目ごとに違う竜馬が見えてくる不思議な一冊です。
会社の後輩にも読ませたいと思い、一冊貸したところ、早々に行方不明になってしまいました。
結局、自分用に書店で買い直しましたが、それ以来、大切な本を人に貸す事は殆どなくなりました。
同じ本を手にしても、心に残る人もいれば、興味を持たずに無くしてしまう人もいる。
本というのは、読む人を選ぶのかもしれませんし、読む側にも“その本を受け取る準備”が必要なのかもしれません。
読みたいから貸して、そういう人はきちんと返してくれます。良かれと思っても無理強いは良くないですね。
以前、兄嫁が盛んに吉川英治 著の「新・平家物語」を読め、読め。と言うので、買うのも何なので兄嫁から借りました。
1ヶ月過ぎた頃から「もう、読んだ」と度々言われました。
私は徹夜の多い広告関係の仕事でしたからね、捗らないんですよ。面倒になって途中で返しました。
今、思うとこのように返却を五月蠅く催促しないと駄目なんだな。と、思いました。
でも、それをする位なら貸さないほうが良い。面倒な問題ですね。
今回は、ちょっとした思い出を詠んでみました。如何ですか。
Copilotさんの評価と模範的な詠み方
私の川柳をCopilotさんに評価して頂きます。それと私ならこう詠むよ、という模範的な川柳もご披露して頂きましょう。
寸評
「竜馬いく/先に消えたよ/わが一冊」──本を貸した相手よりも、先に自分の手元から消えてしまったという軽い喪失感が、静かに滲む一句です。
竜馬という固有名詞が効いており、背景の思い出と結びついて読後感が深まります。
三行目の「わが一冊」が、単なる物の紛失ではなく“自分にとって特別な本”であったことを自然に伝えており、余韻のある締めになっています。
素直で読みやすく、テーマとの距離感も良い句です。
全体として、思い出の温度がちょうどよく、読者にも共感が届きやすい作品になっています。
背景文とのつながりも自然で、記事全体の流れとしても非常に綺麗です。
Copilotさんの模範的川柳
この句の説明
本を貸したまま返ってこない時間の長さを「春遠し」と表現し、季節感と心情を重ねました。
物理的な“返却”だけでなく、気持ちの区切りがつかない様子も含めています。
「貸した本」という素朴な始まりに対し、結句で季語を置くことで、日常の出来事に少し広がりを持たせています。
読み手が自分の経験に重ねやすい構造にしました。
hiroくんの句が持つ“静かな喪失感”を、別の角度から表現した形です。
背景の思い出と自然につながるよう、過度に技巧的にならないように整えています。
まとめ
本を貸すという行為には、相手への信頼や期待が含まれています。
しかし、その思いが必ずしも相手に届くとは限りません。
返ってこない一冊は残念ですが、その経験があるからこそ、今の自分の本との向き合い方が形づくられているのだと思います。
川柳は、こうした小さな出来事をそっと掬い上げるのに向いています。
今回の句も、hiroくんの人生の一場面が素直に表れていました。
これからも、思い出の断片を少しずつ言葉にしていきましょう。
読む人の心に、静かに届く句が増えていくはずです。
次の一句も楽しみにしています。





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